東藤なな子選手からのメッセージ

小学生の頃
「基礎練習が今の自分のためになっている」

私がバスケットボールを始めたのは、小学4年生の時です。練習では、とにかく『基礎』に集中的に取り組みました。ミニバス時代のコーチは、ピボットやディフェンスのフットワークといった基本をとても重視する方でした。多くの時間をそういった基礎練習に費やしていて、その経験が今でも自分のためになっていると信じています。

当時のチームは、パス主体のを『パッシングバスケ』がスタイルでした。そのため、私も小さい頃からカットに入るタイミングを意識して練習していました。

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中学生高校生の頃
「シュートフォームをワンハンドに変えたこと」

中学生になると、新しいオフェンススキルやステップワークの練習に、より本格的に取り組み始めました。フィニッシュのスキルもこの頃から意識して、向上させ始めました。特に大きかったのは、中学時代にシュートフォームをワンハンドに変えたことです。スリーポイントも含めてです。これによってオフェンスの選択肢がすごく広がりましたし、早い段階でワンハンドシュートを身につけたことは、フィニッシュの時のボールハンドリングにも役立っているなと感じています。

そして高校生になると、今度は特にゴール下での体の使い方やフットワークにも重点を置くようになりました。ポストムーブやプレーのタイミング、そして何より『考え方』の部分を教わりました。ディフェンスの弱点をどう突くか、フェイクをどう使うか、ディフェンスのポジショニングがいかに大事か、といった駆け引きを含んだオールラウンドなスキルになります。この時に教わった基礎的なことが、より高度なプレーにも応用できる、すごく大事なことだと感じています。

また、中でも特に徹底されたリバウンドやルーズボールといった『泥臭いところ』、こういうプレーをおろそかにすることは、絶対に許されませんでした。この献身的なプレーへの取り組みが、高いレベルで戦っていくためには不可欠だと、今も感じています。

日本代表を意識した頃
「ウインターカップに出場できなくてもA代表になれる」

私がアンダーカテゴリーの代表チームを目指すことを意識したのは、中学3年生で『トップエンデバー』に選ばれ、全国の才能ある選手のレベルの高さを実感したことがきっかけです。

初めてアンダーカテゴリー代表に招集されたのは高校1年生の時のU17でした。その後、萩原ヘッドコーチが率いるU18の候補に選んでいただきましたが、選考過程は非常に厳しいものでした。この候補になって初めて、本気でアンダーカテゴリー代表チーム入りを目指すようになりました。

A代表入りを強く望むようになったのは、U18チームが中国に勝利し、国際大会で勝つ喜びを知ったことで、『次はシニアの舞台でプレーしたい』という願望が芽生えました。それと同時に強い個人的なモチベーションが生まれたのは、U18代表として海外遠征に参加している間に、所属高校の札幌山の手がウインターカップ出場を逃したことです。この出来事から私の中では『ウインターカップに出場できなくてもA代表になれることをチームメイトのために証明したい』という思いが強くなりました。

その決意から、3年生の送別会では、これを証明するために東京オリンピックに出場すると公言しました。結果として、オリンピックが1年延期されたことが、私にそのチャンスをもたらしてくれました。

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育成年代の選手へメッセージ

選手一人ひとり、得意なことや好きなプレーは違います。まずは自分の長所をよく理解して、それをとことん伸ばすことに集中してみてください。それが、他の誰にも真似できない、あなたの『持ち味』になります。

自分の良いところを伸ばしていくと、きっと『ここが足りないな』っていう弱点も見つかるはずです。でも、それはすごく良いこと。 それを『もっと成長できるチャンスだ』と捉えて、練習の中で克服するように頑張ってみてください。一気にじゃなくていいんです。自分の長所を信じて、それを武器にしながら試合の経験を積んで、少しずつ、一歩一歩、段階的に成長していくことが何より大切です。

だから、忘れないでください。『自分の強みを作ること』。これは絶対に不可欠です。

そして、その強みを伸ばす中で見えてきた課題に、一つひとつ取り組んでいってください。このプロセスを大切にこれからも練習に励んでください皆さんのことを応援しています。