パリ2024オリンピックを振り返る

アメリカのための大会

ドリームチームから32年

バスケットボールにおいて、オリンピックでプロ選手の出場が解禁されたのは1992年バルセロナ大会。当時のアメリカ代表、通称”ドリームチーム”は、バスケの歴史上最も有名なチームと言っても良いだろう。マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソンが、”USA”のユニフォームを着て戦う姿に世界中が熱狂した。ドリームチームの活躍を見て、世界中で爆発的にバスケ競技人口が増えたことは言うまでもない。しかし、そのたった10年後の2002年FIBAワールドカップ、アメリカ代表はアルゼンチン、ユーゴスラビア、スペインに敗北を喫することとなる。アテネ2004オリンピックでは、プエルトリコ、リトアニア、アルゼンチンに敗れ、屈辱の銅メダルを受け取っている。もはや、アメリカ代表を”ドリームチーム"と呼ぶ人はいなくなっていた。

復権を誓ったアメリカは、北京2008オリンピックでコービー・ブライアント、レブロン・ジェームスを擁して再び王者に輝いた。リディームチーム(汚名返上)と呼ばれた。その後アメリカはロンドン2012、リオ2016、東京2020と4大会連続でオリンピック金メダルを獲得した。

パリ2024オリンピックのアメリカ代表は、リーダーである39歳のレブロン・ジェームスには”アベンジャーズ”と名付けらたが、世界中で初代ドリームチームと対比して語られる。ジョーダン、マジック、バード。バスケの歴史を語る上で欠かすことのできない偉大な選手たちの名前は32年という時を経て、もはや破るべき記録をなくしてしまったレブロン、バスケという競技そのものの概念を変えてしまったステフ・カリーを中心とした選手たちに託された。バルセロナ1992オリンピックとの違いは、準決勝セルビア戦、決勝フランス戦を見ても分かるように、あのアメリカにとっても簡単に勝利できる試合はもはや存在しないという現実である。しかしながら、劣勢の中で次々とスーパープレーを繰り出し、勝利するアメリカ代表は”バスケの神様に守られたチーム”と表現する以外に方法が見つからない。

テクニカルハウススタッフは、パリ2024オリンピックにおける決勝トーナメント全試合を現地で視察してきた。データ、戦術、技術を語らなければならないのがテクニカルレポートであることは重々承知の上ではあるが、試合を見れば見るほど「偉大なバスケの歴史がアメリカの敗北を拒んだのではないか」と、およそテクニカルハウスらしくないコメントしか出てこない。それほどまでに今大会は、バスケという競技の枠を超えた”偉大な何か"を感じさせるものであった。準決勝、決勝で人間業とは思えない17/26(65.4%)という驚異的高確率で3ptを沈めたカリー、圧倒的な存在感でMVPを獲得したレブロン。現地観戦であれ、テレビでの観戦であれ、子供、孫の代まで我々はこの試合を語り継ぐことになるだろう。今大会を見た全てのバスケ人は、歴史の目撃者として誇るべきである。

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映像1_決勝戦のステフ・カリーはバスケットボール史に残る伝説

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TEAM USA WIN GOLD

数字から見るスタープレーヤー

POSSとは、その選手がシュート、もしくはターンオーバーをした「ポゼッション」を指す。その数字にアシストも加算したPOSSにおけるPPPのランク。(ミニマムを1試合平均10POSSとしている)

大会MVPを獲得したレブロンが堂々の1位。USAからは2位ケビン・デュラント、6位ステフ・カリーの3人がランクイン。またNBAでMVP獲得経験のあるヨキッチが3位、アデトクンポも4位と圧巻の数字を残している。スター選手がなぜスターと呼ばれるかが分かる数字である。日本の大黒柱、ホーキンソンも堂々5位にランクイン。世界のスーパーに数字上は全く引けを取らない活躍ぶりだった。

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映像2_オールラウンドなプレーでゲームを支配するレブロン

POSS + Ast PPP(Minimum 10 Poss per Game)

順位 選手 POSS + Ast PPP
1 レブロン・ジェームス アメリカ 21.8 1.481
2 ケビン・デュラント アメリカ 12.8 1.455
3 ニコラ・ヨキッチ セルビア 26.8 1.410
4 ヤニス・アデトクンポ ギリシャ 24.5 1.408
5 ジョシュ・ホーキンソン 日本 15.7 1.404
6 ステフィン・カリー アメリカ 14.3 1.395
7 RJ・バレット カナダ 19.8 1.392
8 ヌニ・オモット 南スーダン 18.7 1.339
9 カーリック・ジョーンズ 南スーダン 28.7 1.337
10 アレクサ・アブラモビッチ セルビア 12.8 1.325